「子供は愛されるために生まれてくる」という言葉が嫌いだった。
お腹の中で殺された赤ん坊や愛されなくても生きていかねばならない子の存在を否定しているから。
「子供は望まれて生まれてくる」という言葉が嫌いだった。
望まれず摘まれる赤ん坊や望まれず産み落とされた子の命を貶めているようで。
理不尽はある。傲慢がある。
善意から出た祝福の言葉に恵まれた者・持てる者の無自覚の優越を勘繰ってしまうのは、きっと私の性格が悪いからだ。
ずっとそう思っていた。今でもそう思っている。
でも×華がカナちゃんにかけた「生まれてきただけでカナちゃんは幸せになれる権利があるから」という言葉はスッとしみた。それは彼女が産婦人科で働く中で、幸せなだけじゃない、哀しい出来事や辛い出来事を沢山経験したから。
中絶された胎児に一人一人声をかけながら小瓶に詰め、「光を見ずに終わるのは可哀想だから」と窓から景色を見せてあげるシーンで、涙がボロボロ流れて止まらなかった。
絵が下手?それがどうした。下手だからいい絵じゃないと誰が言える?この作品にはこれしかない絵だ。何故って一人として同じ顔の赤ん坊がいない、同じ顔のお母さんがいない、愛くるしい赤ん坊がいない。
読後感は重たい。ごっそり持ってかれる。後々までひきずって、お風呂に入ってる時や夜寝る前に思い返しては「はあ~……」とため息ばかりついてしまう。
めでたしめでたしで終わる話もあれば、哀しい結末を迎える話もある。
けれども×華は言う、虐待も疑われる授乳中の事故で死んだ赤ん坊、健太君は愛情につつまれて死んでいったと。
信じる者は救われる。
人には信じたいものを信じる権利がある。
だからフィクションは支えになるし生きる芯にも成りえる。私もそうであればいいのにと願う、真相は永遠にわからなくてもそう信じていたいと思う。
自分が信じたい事を、読者にそうあってほしいと願わせるのが良い語り部の条件なら、×華は十分にその素質がある。
産婦人科の話だ。それも裏側の。
めでたいだけじゃない。
中絶が語られる。
流産が描かれる。
虐待が審議される。
壮絶な体験がありふれた出来事のように淡々と語られて、自分勝手な人たちがしっちゃかめっちゃか話をひっかきまわす。
目を背けたい。逸らせない。この人達がどうなるのか、幸せになれるのか知りたくて、どうか幸せになってと狂おしく願う。