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『1年後の3.11 被災地のオフレコ話』のレビュー

9年経った今でも昨日のことのように思い出される出来事でした これはぜひ読むべき一冊です
2020年2月17日
震災当時、ニュースを見たり情報はしっていると思ってましたがこの漫画で色々と勉強になりました!!
2019年10月12日
泣けた‥号泣した あの日をいつまでも忘れない。
2019年8月21日
怖い。とても怖い。もしもこんな大きな災害にあってしまったら私1人では子どもを守りきれる自信がない。想像するだけで本当に怖い。
2019年5月2日
テレビで視ていた津波が押し寄せる様子、現実とは認識出来ず、何かの映画かと錯覚を起こしたのを覚えていてます。関東在住で被災地の方々へ何をしたら良いかも分からず・・・無力でした。知らなかった真実教えてくれてありがとうございます。震災後に出来た絆で近所に毎年秋刀魚祭りが開催されます。平和な時にこんな絆な作れたら良いですね。
2019年4月10日
福島の被災者です。 当時、私は16歳でした。 もうあの日から7年たちますが、昨日のことのように覚えています。 地震が来た時この世が終わるんじゃないかと思うほどの恐怖を感じました。 もうあんな思いは二度としたくありません。
2018年6月20日
強盗がいたこと 我先に逃げたいがために歩行者をひいた人がいたこと 遺体が溢れる瓦礫のなかを歩くこと なにも知らなかった 本当に知りたいこと、知った方が良いことは伝わっていなかった
2018年5月14日
メディアでは報道されない現実が描かれていました。 街の復興は進んでも被災者、救助に携わられた方々の心の本当の復興にはものすごく時間がかかると思います。あれから7年という月日が流れましたがあの日本の大危機を私たちは絶対忘れてはいけない、と思わせてくれた作品でした。
2018年5月13日
泣きました。確かに報道などでは流れない話です。ボランティアの方々の優しい気持ち、自衛隊の方々の辛い気持ちが良く分かりました。たくさんの方々に見て頂き、地震等の災害に備えて欲しいです。
2018年5月11日
仙台出身です。 ありのままの内容ではあると思いますが、政治批判がちょこちょこ入っていたのでその分☆を少なくしました。 たしかに対応が遅かったり、現場の人からすればあれ?と思うような事はたくさんありました。 それでも当時は自衛隊を派遣してくださった事ももちろん、今でも復興の為に動いてくれている政治家さんもいます。 莫大な税金を使って助けて貰った以上、よくない所がたくさん見えたとしても、そこは一貫してありがとうと言って欲しかったかな。
2018年5月10日
たくさんの人に読んでもらいたい漫画です
2018年5月10日
あの震災から、もう7年以上経ってますが、改めて震災後の様子の酷さに、涙が止まりませんでした。 作家さんの配慮で、コミカルに脚色されたと思われる箇所もありますが、そんな部分も辛く思われました。 被災された方々にとっての復興は、まだまだ、これからなんですよね…
2018年5月10日
海外に引っ越してからこのニュースを目の当たりにしました。海外に住む1人の日本人の奥さんは家族や友人が震災、津波のあった場所にいるわけでもないのに狂ったように津波の動画を探しまくって数日で鬱になってしまいました。 あの時はどうしてあんな事をしていたのか理解ができず、見るのをやめるように話すことしかできませんでした。今思えば、間接的にPTSDだったのではないかと…。今でもどう声をかけたら良かったのか思い返すことがあります…
2018年5月10日
自然は脅威だけど、本当に怖いのは人間なんだなぁと思った。 逃げる時とか火事場泥棒とか。 隣県ですが、他にも色々嫌な噂は聞きました。 自分がその立場の時にどう行動してしまうのか考えると怖いですね。
2018年5月9日
私には10歳と1歳の子供がいます。ニュースで小学校の避難が遅れ流されたこと・・・親御さんの気持ちを考えると本当につらい。この作品を読み、改めて多くの方が亡くなったことを思い出しました・・・あまりにもショッキングな出来事、読みながら泣きました。御冥福をお祈りします。
2018年5月8日
私は山形の内陸在住ですが、あの日の事は7年が過ぎた今でも忘れられません。 義兄が自衛官で、当時は仙台病院勤務でした。 姉一家は官舎暮らしで、当時小学生だった姪と甥を連れて姉が実家である我が家に避難できたのは、震災から2日後のことでした。 義兄はすぐ災害派遣に行ってしまったので、家族に会えたのは震災から10日後くらいだったと思います。 避難所では家族と避難してきたわんちゃんがストレスで吐いたり、子供が泣き叫んだり、トイレは水が流れないのでどこもつまって、汚物が山のようになっていたそうです。 我が家の愛犬も余震が起こるたびにびくびくしたりふるえたりで、とてもかわいそうでした。 山形ではあまり大きな被害はなかったけど、仙台からの物流が途絶えて、車にガソリンを入れるのに何時間も並んだり、しかも1000円分しかダメだったけど、スーパーもコンビニも棚はがら空き、職場も仙台からの資材が入荷できなくて、従業員はみんなしばらく休みになりました。 姉一家は、家を建てたばかりでまもなく引っ越しの予定だったけど、業者さんも被災したし、連絡も取れなくなって、やむなく先伸ばしにしました。 しかも、建てたばかりの家の土台に亀裂が入って、ただで直してはもらったけど、今でもあとが残っています。 引っ越しした所は宮城野区で、沿岸部から引っ越してきた人が同じ学校に何人かいたらしく、津波で家が流された子や、親を亡くして学区内に以前からある施設に入った子がいたそうです。 姪と甥も、そして姉も、あの日の事はあまり話したがりません。 テレビで震災の様子が映ると具合が悪くなっていたけど、今はどうでしょうか…。 今いる愛犬達は震災の後に生まれたので、地震の恐ろしさも緊急地震速報が鳴った時の恐ろしさも分かりません。 できれば、ずっと経験しないでいて欲しいです…。
2018年5月7日
どなたにも読んでいただきたい。 「亘理町」はまさに、7年前のGWに、神奈川県柔道整復師会の有志で救援救護隊を結成して活動した町の一つです。第3話に出てくる町の様子は、まさに僕らがあの時見た光景です。 テレビなどのメディアでは決して語られなかった真実の一部がここに描かれています。僕はあくまで避難所生活者の救護だったので、ここに描かれている程の人間の醜さは目にしませんでした。それでも読んでいるうちに、思い出し泣きをしました。 津波が押し寄せてひっくり返った家や車しか無いエリアと、屋根がブルーシートになったり、壁にヒビが入っているくらいで普通に生活できているエリア。先に行ったベテラン柔道整復師が「何も無いか、何でもあるかのどちらかだ」と言ったのが現場に行って始めて理解できました。 普通に登校してきている子どもたちの過ごす校舎と、家や家族を無くして避難している子どもたちの過ごす体育館との間に引かれた一本のロープ。それは双方が超えてはならない平常と異常の境界線。 一緒に寝泊まりした現地の消防団の皆さん、明るく話しかけてくれ、僕らをねぎらってくれましたが、実は全員が家族を失っていました。あまりに現実離れした生と死の紙一重に心が揺れました。 あの時「想定外」という言葉が何度叫ばれたか。多くの方が亡くなった震災に学ばないことも、備えないことも、あってはならないと思います。 命と絆の大切さ。決して忘れてはいけない、決して。
2018年5月7日
仙台在住。震災当時思い出します。小さい我が子2人を抱えて毎日いろんなスーパーに食料求めて朝から並びました。地震大国、日本。この話読んで少しでも多くのみなさんに地震の恐ろしさと現実を知ってもらえたらと思います
2018年5月6日
多くの人に読んでもらいたい作品です。自然の驚異の前では、人間の強さと弱さが出ると教えてもらいました。 もっと多くの言葉でこの作品を語りたいですが、当時を思い出し体調が崩れそうなので、これで止めておきます。うちは東京だったので、大きな被害は出ていないんですけどね。弱いなぁ。
2018年5月4日
目をそむけたくなるような耳をふさぎたくなるような本物の現実に涙が止まりませんでした。 忘れなければ生きていけない出来事ですが、日本人として決して風化させてはいけないと改めて強く思いました。 微力ながら今後も復興のお手伝いを続けていきます。
2018年5月3日
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