冒頭の原文、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いが混じってる…
ざっくり読んだところ、たぶん作者は「源氏」本文は読んだこともないですね。エッ、そこ削っちゃう?みたいな省略(高麗の人相見が登場するが、ただ容貌を褒めるだけ。肝心の「帝となる人相を持つがそうなると国が乱れる。位人臣を極めるのもまた違うよう」という予言はカット)も多々。
平安朝について碌に調べてもいないのか、時代考証が雑。
装束については、平安中期の絵画的資料は乏しいので難しい(現存するもの多くは数百年後に描かれたもの)と思いますが…それにしても、これじゃあ戦国以降の小袿姿に無理やり袴履かせた感じですね。
帝が烏帽子を被っているシーンがありますが、在位中は常に「冠」を着け、天皇が烏帽子をかぶるのは譲位後となります。同じシーンでは室内が畳敷きになっていますが、この当時は板張りで座所に畳(この畳も身分によって畳縁の模様が異なる)を敷くだけです。
桐壺更衣のお産のシーンで、修験者が祈祷していますが、頭巾・篠懸・結袈裟は室町以降の姿です。このシーン、あきらかに安田靫彦「御産の祷」を参考にしているようですが、なんでここで山伏なんて描いちゃったか。元ネタのように殿上人に米を撒かせておけばよかったのに。また、産婦(桐壺の更衣)を諸肌脱ぎで描いていますが、「御産の祷」画中の半裸の女性は、産の苦しみを肩代わりするための憑座(よりまし)です。ここも間違い。
死期の迫った桐壺更衣の宿下がりに唐車を用いていますが、これは天皇や上皇の乗り物です。立后もしてない更衣が使わないでしょう。その前の宿下がりには糸毛車(身分の高い女性が用いる)を描いているのに、何故変えちゃったのか、気になりました。また、このシーンの光源氏の髪型、江戸中期以降の幼児の髪型ですね。平安中期、この年頃なら目刺し髪か尼削ぎでしょう。描いてておかしいと思わなかったのか?
あと、白昼に殿上人が直衣で昇殿していますが、束帯が正しい。束帯にしとけば、いちいち柄も描かなくてよかったのに。
ざっくり気になった点だけ指摘しましたが、ツッコミどころ満載です。
美術(小道具)は筋立てに関係ないと仰る向きもありましょうが、やはり時代物はある程度「その時代らしさ」は大事だと思うのです。
台詞回しもまるで江戸時代モノ。いまだかつてない骨太の「源氏物語」でした。むしろそれを楽しむべきなのか。